- 1901年3月3日
- 沖縄県本部村山川にて出生。
- 1925年
- 伊江島に渡り、キヨと結婚。
- 1925年4月23日
- 募集に応じてキューバへ出稼ぎに渡る(先生になるための学費を稼ぐために)。
- 1925年10月
- 愛息・昌健 誕生。
- 1929年
- ペルーへ移動。
- 1934年
- ペルーから帰国(病気の県人にお金をカンパし無一文)(33歳)。
- 1934年
- 静岡県・興農学園を卒業。農民学校を設立するため伊江島真謝に土地を求める。
- 1942年
- デンマーク式農民学校、計画の8割を達成。
- 1944年9月末
-
日本陸軍伊江飛行場の滑走路ほぼ完成。
※この飛行場があったために、伊江島戦となる。
- 1945年4月16日
- 米軍、伊江島上陸、激戦となる。
- 1945年4月16日、7日頃
-
阿波根夫婦、米軍の保護下へ。
昌健、浦添村城間で戦死。日は不明。
伊江島戦において、島民の3分の1(約1500人)が犠牲に。
- 1945年5月18日
- 伊江村民、慶良間諸島へ強制移住。
- 1947年3月28日
-
伊江村民全員の帰島完了。
米軍滑走路三本完成。島の63%が軍用地。
- 1953年7月19日
- 最初の土地接収通告。
- 1954年6月
- 真謝区4戸への立退き命令。強制立ち退き始まる。
- 1954年9月27日
- スミス土地顧問、150万坪の土地接収と150戸の立退きを村に通告。
- 1954年11月22日
- 測量隊来る。区民150人が一人ひとりに「やめてください」と哀願する。
- 1954年11月24日
-
「陳情規定」をつくる。
- 1955年3月14日
- 米軍、81戸の土地を奪い、13戸の家を破壊し、射爆場を建設。
- 1955年4月21日
- 農民は立入り禁止区域に入り農耕を開始。
- 1955年7月21日
-
「乞食行進」開始。
生きるため、また世間に伊江島の実情を訴えるため、沖縄本島縦断(翌年2月まで)。
- 1960年代
- 闘うためには学習が欠かせないと、若者延べ20余名を中央労働学院へ送り出す。
- 1966年9月
- 阿波根昌鴻、中央労働学院に入学(65歳)。
- 1967年5月28日
- 「全沖縄土地を守る会」を結成。会長 阿波根昌鴻。
- 1967年8月
- 伊江島生活協同組合設立、理事長 阿波根。
- 1967年12月6日
-
団結道場 起工式(建設に取りかかる)。
米軍の度重なる妨害にあうも乗り越え、3年がかりで1970年9月完成。
- 1970年5月
- 伊江島の軍用地40%返還が軍当局によって約束されるも、その後、政府によって撤回。
- 1972年5月
- 「祖国復帰」。
- 1973年8月20日
-
『米軍と農民』(岩波新書)出版。
- 1982年
- 『写真記録 人間の住んでいる島』自費出版。
- 1984年6月23日
- 「わびあいの里」開設。
- 1984年12月8日
- 「反戦平和資料館 ヌチドゥタカラの家」開館。
- 1985年9月26日
- 強制使用の取消を求めて違憲訴訟を提訴。伊江村役場での出張尋問で証言。
- 1989年
- 『写真記録 人間の住んでいる島』英語版出版。
- 1991年4月
- 反戦地主への経済差別(反戦地主重課税取消)を那覇地裁に提訴。
- 1992年10月20日
- 『命こそ宝』(岩波新書)出版。
- 1994年
- 沖縄県功労賞受賞。
- 1994年12月14日
- 反戦地主重課税取消訴訟、勝訴判決(那覇地裁)。
- 1998年11月10日
- 反戦地主重課税取消訴訟・上告棄却(最高裁)。
- 1998年12月12日
- 映画『教えられなかった戦争・沖縄編 阿波根昌鴻・伊江島のたたかい』完成。
- 1999年2月22日
- 「わびあいの里」財団法人認可。理事長 阿波根。
- 2000年1月23日・24日
- 第1回「ゆずり合い、助け合い、学び合う会」開催。
- 2000年7月1日
- 「わびあいの里」主催で「平和サミット」開催(読谷村)。
- 2001年3月3日
- 「阿波根昌鴻100歳を祝う会」。
- 2002年3月21日
- 阿波根昌鴻 永眠。