阿波根昌鴻

History 沿革

阿波根昌鴻

故阿波根昌鴻講演
(1995年6月22日、
敗戦50年の沖縄慰霊の日の前日)

1901年3月3日
沖縄県本部村山川にて出生。
1925年
伊江島に渡り、キヨと結婚。
1925年4月23日
募集に応じてキューバへ出稼ぎに渡る(先生になるための学費を稼ぐために)。
1925年10月
愛息・昌健 誕生。
1929年
ペルーへ移動。
1934年
ペルーから帰国(病気の県人にお金をカンパし無一文)(33歳)。
1934年
静岡県・興農学園を卒業。農民学校を設立するため伊江島真謝に土地を求める。
1942年
デンマーク式農民学校、計画の8割を達成。
1944年9月末
日本陸軍伊江飛行場の滑走路ほぼ完成。
※この飛行場があったために、伊江島戦となる。
1945年4月16日
米軍、伊江島上陸、激戦となる。
1945年4月16日、7日頃
阿波根夫婦、米軍の保護下へ。
昌健、浦添村城間で戦死。日は不明。
伊江島戦において、島民の3分の1(約1500人)が犠牲に。
1945年5月18日
伊江村民、慶良間諸島へ強制移住。
1947年3月28日
伊江村民全員の帰島完了。
米軍滑走路三本完成。島の63%が軍用地。
1953年7月19日
最初の土地接収通告。
1954年6月
真謝区4戸への立退き命令。強制立ち退き始まる。
1954年9月27日
スミス土地顧問、150万坪の土地接収と150戸の立退きを村に通告。
1954年11月22日
測量隊来る。区民150人が一人ひとりに「やめてください」と哀願する。
1954年11月24日
「陳情規定」をつくる。
1955年3月14日
米軍、81戸の土地を奪い、13戸の家を破壊し、射爆場を建設。
1955年4月21日
農民は立入り禁止区域に入り農耕を開始。
1955年7月21日
「乞食行進」開始。
生きるため、また世間に伊江島の実情を訴えるため、沖縄本島縦断(翌年2月まで)。
1960年代
闘うためには学習が欠かせないと、若者延べ20余名を中央労働学院へ送り出す。
1966年9月
阿波根昌鴻、中央労働学院に入学(65歳)。
1967年5月28日
「全沖縄土地を守る会」を結成。会長 阿波根昌鴻。
1967年8月
伊江島生活協同組合設立、理事長 阿波根。
1967年12月6日
団結道場 起工式(建設に取りかかる)。
米軍の度重なる妨害にあうも乗り越え、3年がかりで1970年9月完成。
1970年5月
伊江島の軍用地40%返還が軍当局によって約束されるも、その後、政府によって撤回。
1972年5月
「祖国復帰」。
1973年8月20日
『米軍と農民』(岩波新書)出版。
1982年
『写真記録 人間の住んでいる島』自費出版。
1984年6月23日
「わびあいの里」開設。
1984年12月8日
「反戦平和資料館 ヌチドゥタカラの家」開館。
1985年9月26日
強制使用の取消を求めて違憲訴訟を提訴。伊江村役場での出張尋問で証言。
1989年
『写真記録 人間の住んでいる島』英語版出版。
1991年4月
反戦地主への経済差別(反戦地主重課税取消)を那覇地裁に提訴。
1992年10月20日
『命こそ宝』(岩波新書)出版。
1994年
沖縄県功労賞受賞。
1994年12月14日
反戦地主重課税取消訴訟、勝訴判決(那覇地裁)。
1998年11月10日
反戦地主重課税取消訴訟・上告棄却(最高裁)。
1998年12月12日
映画『教えられなかった戦争・沖縄編 阿波根昌鴻・伊江島のたたかい』完成。
1999年2月22日
「わびあいの里」財団法人認可。理事長 阿波根。
2000年1月23日・24日
第1回「ゆずり合い、助け合い、学び合う会」開催。
2000年7月1日
「わびあいの里」主催で「平和サミット」開催(読谷村)。
2001年3月3日
「阿波根昌鴻100歳を祝う会」。
2002年3月21日
阿波根昌鴻 永眠。

参考文献

  • 『証言資料集成 伊江島の戦中・戦後体験記録』
    伊江村教育委員会 発行
  • 『教えられなかった戦争・沖縄編 ― 阿波根昌鴻・伊江島の闘い ―』
    映像文化協会 発行
  • 『反戦と非暴力 阿波根昌鴻の闘い』
    高文研 発行/亀井 淳 著(『花は土に咲く』第5号)
  • 『伊江村史』下巻
    伊江村役場 発行
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